悪魔憑き

 5月を半ばを過ぎ、初夏の風が感じられるとある土曜日の午後、ワシは主と共にお気に入りの散歩コースである河川敷の公園をゆっくりと歩いている。バスケットボールのゴールポストやサッカーのゴールネット等が並ぶスポーツ場では、近くの小学校か中学校と思われる少年達が汗を流しており、時折聞こえてくる歓声とさわやかな風が至極の時間を与えてくれている。
 「あぶなーい!」
 不意に声が聞こえてくる。声の質と方角から考えるにサッカー少年達であろう。ゴールネットに向けて放ったシュートは枠内に納まることなく、遠くを歩いていたワシと主の所まで真っ直ぐに到達しボールは転々と転がりながら目の前でゆっくりとその活動を停止した。こういった物で遊ぶ年でも無いとは思いつつ、ワシはそのサッカーボールを前足で少し動かした後、主の顔を見上げる。
 「すいませーん。」
 「はーい。」
 少年達が頭を下げているのに呼応するように主は叫び、ワシの足下にあるボールを拾い上げる。多少名残惜しい気もするが主の判断なら従うのが勤めだ。
 「後で、いっぱいあそんだげるから。」
 と、ワシの頭を数度撫でたあと、主は「いくよー!」とのかけ声と共に、ボールをゴールキックの如く強くけり出した。
 「ありがとー・・・あぁ!」「あっ」
 主と少年達の声が一緒だった。サッカーボールは<バシュ>と言う空気を切り裂くような音と共に、少年達の頭上を遙か超えていったのである。蹴り出したにしては・・・飛びすぎだと主も思ったのだろう。
 「おい、春美!」
 声の主は、主の反対側に立っていた主の伴侶である。さすがに伴侶殿も今の蹴り出し方に疑問を投げかけているようで、憮然とした表情で主をみている。
 「いくら何でも、スカートでボール蹴ることは無いだろうが!見えたらどうするんだ!」
 「大丈夫だよ~おねえちゃん。スパッツはいてるもん。」
 「そういう問題じゃない!」
 どうやら、主とワシが問題にした事とは別の事柄で伴侶殿は怒っているようだ。
 歩きながらの会話であるが、次第に内容が当初の論点からずれていくのが分かる。曰く「女らしく」とか「服装の趣味」のようである。まあ、喧嘩するほど仲がよい典型的なお二人であるので、口論がおさまるまでワシは一端立ち止まり、しばし休息させてもらうことにした。

 

 さて、お二人の会話が熱くなっている所で、改めて自己紹介をしよう。ワシの名は雪風、字は二ノ宮。誇り高き狼族の末裔、犬族にして二ノ宮家に従事している門番である。人による犬種の識別としてはシベリアン・ハスキーと称されており白を地毛として上毛に薄い灰色の毛並みをしておる。五年ほど前に二ノ宮家に来訪した最、この毛並みを見た主が「雪みたい」と賞賛した事から、ワシの名が「雪風」と定められ、その時から主とそのご家族、ひいてはこの竜門町の安全を守護する事を責務としている。
 身体的な特徴としては、体高約75cm体重約50kgと同種の成年犬と比べても二廻りほど大きい体躯をもっておる。平均的な同種と遭遇した経験が無いので断言出来るわけでは無いのだが、ワシは同種のなかでも抜きんでて大きい部類らしい。(以前、主が「シベリアン・ハスキー」について調査をしていた節があったので、確認してみてくれると良いだろう。)
 お気に入りの特徴としては、額に菱形をした白毛の部分と大きく長い尾があげられる。実はこの二カ所、ワシにとっての大切な器官の一部で特に額の菱形の部分は主以外には触ることを許さぬ所である。
 ここまできて「こいつ本当に犬なのか?」と疑念を感じる貴殿もおられるだろう。それもそのはず。ワシは犬族であって犬族ではない、人以上の高い知性をもち天変地異すらも容易に引き起こす神としての存在、大神族なる血統の存在である。太古の時代にあっては、非常に強力な存在として神話にもその存在を認めることができる強大なものであったが、今日に至っては一般の犬族との混血が進み、大神族といえどもそれほど強力な存在では無くなっているのだ。とは言え、通常の犬族とは比較にならぬほどの知性を身につけ、弱いながらも神通力を発揮することができるのも事実である。
 最近では、ワシのような大神族が人の社会にも存在している事がわかってきており、人の社会ではワシの様な存在の事を「悪魔付き(デモンパラサイト)」と称しておるようで、あまり好ましい名称とは言えぬだろう。

 

 意識を外へ向けると、お二人の口論はまだ続いていたようだ。
 「おねえちゃんの服、ぜんぜんかわいくない。」
 主ですら、既に口論の内容が「サッカーボールの行方」から「互いの服装」に移ってしまっている、やれやれ。
 さすがに長時間、日光の下に立ちつくしているのはお二人の健康にも悪いだろうし、なによりワシが木陰と水を要求したいところである。お二人の仲を元に戻すのもワシの役目、どれ動くとするか。
 とは言え、無闇に動き回って主に怪我を負わせてしまっては意味がない。そんな時に役立つのが、ワシと主を繋ぐ「リード」と呼ばれる紐である。以前なら「こんな紐など無くとも、主の側を離れるようなワシでは無い!」と考えていた時期もあったが、あればあった成りに、主を安全な方向へ導く事も出来る優れた物であることを認識している。
 今回この「リード」の使用方法であるが、普段の散歩では「主・ワシ・伴侶」と三人並んで動いている。そこで「主・伴侶・ワシ」と言うように、伴侶殿の反対側へ静かに動く訳である。しかる後、強めの力を勢いよく加えると・・・
 「うわっ!」「お、おい!!」
 必然、主は伴侶殿に吸い寄せられるように倒れ、それを防ごうと伴侶殿は腕を広げて主を受け止める形になるわけである。主は抱きしめられていることが嬉しいようであるが、伴侶殿は羞恥心と保護欲とが入り交じり耳まで真っ赤になっている。勢いで背中まで回していた手を名残惜しそうに離し、肩を掴んで自らの豊満な胸に顔を埋めている主を引き離す。
 「春美、怪我してないか?大丈夫か?」
 「うん、だいじょうぶ。リード持ってた手首、すこし赤くなった。」
 伴侶殿が主の手首をさすりながら怪我の有無を確認している。それほど強く引いたわけでは無いので、怪我はしておらぬと思う。
 「少し腫れてるだけだ。大した怪我じゃない。」
 安堵した伴侶殿は、ため息を一つ付いた後、半ば鬼の様な形相でワシを睨み迫力ある声でワシを怒り出してきた。先ほどまで主との軽い口喧嘩をしていたとは思えぬ迫力である。
 「雪風、急に引っ張るな!春美が怪我しただじゃないか!!」
 ワシの目から見て主の手首は怪我と言う怪我は負ってはおらぬのだが、主の事を心配するが故の怒りなのだろう、もっともである。こんな時は得てして騒がず歯向かわず。  「ワゥ?」
 『ヨクワカラナーイ、ドウシテオコラレタノ?』的な返事と共に首を少し傾けてやるのが効果的だ。途端、主が救援の手を差し伸べてくる。
 「雪風は暑いところが苦手なんだよ、おねえちゃん。早くいつものドッグランに行きたいだけだよ。」
 「う・・・んー。」
 「そうだよね、雪風~」
 「ワゥン!」
 「さっきからあたし達立ち止まってたから、催促したんだよ。」
 「ワゥ、ワゥン!」
 「お、おい!」
 問いかけに適切な返答を返すと、その意を理解した主は、ワシとを繋ぐリードを反対の手に持ち、残った手で伴侶の手を取り走り始める。
 やっといつもの訓練場に向かう事が出来る事を喜び、ワシと主、伴侶殿は河川敷を駆けだして行く、やれやれ。

 

 ドッグラン、ここは他の門番達が集合し、互いの主との連携による適切な戦闘及び狩りの訓練が行える場所である。既に何人かが各々の主と共に戦闘訓練を行っているようで、黄色やオレンジ色の鮮やかな色彩を放つボールが見て取れる。
 主はワシとを繋ぐリードを外しながら、伴侶殿に愛用の訓練道具を取り出す催促をする。
 「バックから雪風のオモチャとってー。」
 「この水色のフリスビーだな。」
 伴侶殿が取り出したのは直径30cmのプラスチック製のフリスビーと呼ばれる物。ボールとは違い空中を長い間滑空するため、空間認識力や運動能力が試される優れた道具である。
 「じゃあ雪風~、伏せて~。」
 ワシは主の指示に従い地面に伏せ、戦闘態勢を取る。<ヒュン>と風を切って投げられた訓練道具は、緩やかに左に曲がりながら空を飛び始める。
 「ご~!」
 と言う、主の指示に従い目標物の落下地点を予測。同時に移動上に障害物、周辺域から進路上に入る他者無し。一瞬にして最高速度に達したワシは、悠々と追いつき跳躍一つで道具を回収する。着地後、ゆっくりとした駆け足で主の元へ戻り訓練道具を返却する。  「よ~し、いいぞ~、雪風~。」
 ワシの頭や喉を何度か撫でる。主の手の感触は何度ふれられても心地よいものである。落下地点や投擲速度等を変えて何度か訓練をした後、主はこう切り出してきた。  「こんどは、おねえちゃんが投げてみて。」
 次は伴侶殿か・・・。露骨に嫌な表情をしてしまったのか、
 「いや、いいよ。雪風嫌がってるみたいだし・・・。」
 「だいじょうぶだって、ほらほら。」
 伴侶殿は手渡された訓練道具を眺めながら、「む~」と唸りをあげている。ワシとしても、出来るなら主に投げて貰いたいところであるのだが、その主が伴侶殿に任せておられる以上、承伏するしかあるまい。
 「じゃあ雪風。いくぞ・・・。」
 伏せの合図も無しに、いきなり投げられた訓練道具は一直線に飛行し、訓練場の周囲に植樹されている立木へと吸い込まれる。投げられた時とその木陰から子供と手を繋いだ母親が出てくるのは、ほぼ同時だっただろう。ワシら犬の訓練風景を見に来た親子で、恐らくは子供がワシらに近づきたくて飛び出し、それを制しようと子供の手を取った。そんなところだろう。
 とは言え、先ほど投げられた訓練道具を黙ってみているほど、ワシは愚かではない。主や伴侶殿からの号令を待たずに走り出す。力加減をまったく考慮されていない訓練道具の速度は思った以上に早く、追いつくにはワシも「大神」の力を少しばかり解放せねばならんようだ。
 ワシの持つ大神としての力は「戦争虚意徒(ウオーコイト)」と称される、知恵ある者達の意識を自在に操る力である。戦闘能力を拡大するような大神の力でないのがこの場合悔やまれる。今回の場合は親子に対し無意識に後退する暗示と、ワシが急接近してくる事への恐怖心の克服だろう。
 意識の植え付けに成功し、いよいよ捕獲である。が、普通に空中で捕獲してしまうと、着地時に親子にぶつかってしまうため、より高く飛び上がる跳躍を行い、上昇時に捕獲、空中で姿勢をととのへ、親子を超えた後、着地。の行程を取るのが妥当であろう。  <ざっ>
 程なくして、訓練道具を回収し着地する。親子はと言うと・・・
 「しゅごーい。」
 子供は大きな目を輝かせ、手をパチパチと叩きながら喜んでいる。一方母親は、あっけに取られた表情をしながらワシを見ている。
 「すいません!怪我はありませんか?」
 伴侶殿が親子に駆け寄りながら安否を気遣う。その後を主が付いてきた。
 「ええ、大丈夫です。ぶつかりませんでしたし。」
 母親が伴侶殿に返事を返しているが、自分の投擲ミスであることを痛感しているのだろう、仕切に頭を下げている。ワシは駆けつけてきた主の側に向、訓練道具を返却する。
 伴侶殿の時たま発生する奇妙な失敗(人の言葉ではドジっ子属性と言うらしい)に、ワシも少々驚く事がある。主に忠告の一つでも言っておかなければ、今後さらに酷い失敗をしでかすかと思うと、心配でならない。
 「ワゥ!」
 「このワンワンおおきいねー。」
 「雪風ってなまえだよ。」
忠告は無視されたようだ。  「かみつかない?」
 「だいじょうぶだよー、首のうしろ撫でてごらん。」
 ワシを会話の掴みとして、主と子供の方はすっかり打ち解けている。
 子供の手が恐る恐る伸び、ワシの頭付近に近づいてくる。その手の行く先を首を回して追いかけ額を触らぬように追おうとするが、「雪風だめ。」の一言で却下。ワシも嫌なのだがなぁ。程なくして子供の小さい手が、ワシの首の後ろから背中を動く。ぎこちない手つきは、子供がまだ恐怖心を残しているようだ。
 「ほら、だいじょうぶでしょ。」
 主の言葉に反応し、やっとの事で子供に笑みが戻る。ワシもやっとの事でこの緊張から解放されるれ安堵した。一方の伴侶殿と母親の示談交渉は美味く行ったようで、賠償請求等が要求されずに和解で済んだようだ。子供に怪我を回避したのはワシの技量の賜物であるので、伴侶殿には是非とも感謝の意を頂きたいものだ。
 親子との束の間の交流の後は、訓練道具による戦闘訓練の他は、いつもの訓練項目に戻り、水分補給を適時行いながらランニングや追跡訓練で体を鍛え、今は木陰で休息をとっているところである。
 主はワシと同じように、学校という訓練機関にて庭球なる戦闘訓練をうけているため、軽く汗ばんでいる程度だが、主の隣に腰を降ろしている伴侶殿は、肩で「ぜぇはぁ」と息を切らしている。体格的に主よりも立派であるのにこの体たらくは、訓練不足と言わざるを得ないだろう。
 「はぁはぁ・・・はぁ・・・」
 まだ落ち着いていない呼吸を楽にするため、必死に深呼吸を繰り返している伴侶殿であるが中々、呼吸は速いままである。
 「こんな・・・こと・・・はぁはぁ、部活以外で・・・はぁはぁ・・・やってる・・・のか?・・・はぁはぁ・・・」
 「そだよ~。雪風がうちにきた時・・・あたりからずっとやってるよ。」
 伴侶殿の顔は見る見る青くなっていく。
 「そんなに・・・運動しなくても・・・はぁ・・・だいじょうぶじゃ・・・はぁはぁ・・・ないのか?・・・」
 「うーん、お父さんから聞いたんだけど、ハスキー犬って、寒いところにすんでて、体力がものすごーくたくさんある犬なんだって。で、雪風が家にきたころは父子家庭でなかなか遊んであげられないから、毎日のお散歩いがいにもちゃんとからだを動かせるようにって。」
 「犬を飼うのって・・・随分と大変なんだな・・・」
 伴侶殿の息もやっと落ち着いたようで、主から差し出された水筒の水を飲み干し、人心地ついたようである。
 すっかり静かになった訓練場でワシと主と伴侶殿が、言葉も無くその夕焼けを見ていた。日が長くなったとは言え、木々の間からは、赤く染まった太陽が顔をのぞかせ始めている。そろそろ黄昏時が近づいてくる。古来より「黄昏」は此の世と彼の世が交わる時間とされ、その独特の色彩によって表される昼と夜の境界線は、大神族であるワシでさえ時折、訳の無い焦りを感じるときがある。
 「そろそろかえろっか。おねえちゃん・・・。」
 「そうだな・・・。」
 立ち上がった主は、再びワシにリードを装備させその反対側を握る。もう片方の手はというと、伴侶殿の手をそっと握りる。  「お、おぃ。」  伴侶殿の顔が真っ赤なのは、なにも夕日の色だけでは無いだろう。さびしそうに何かを訴えかけるように笑う主の笑顔は、子供の頃に無くなった母親の影を追い求めているのだろう。その寂しさを埋める事はワシにはできぬ事だ。
 一旦は身を引きかけた伴侶殿であったが、主の何かを感じたのか、無言で手を握り返しゆっくりと歩き出した。平和な一日が今日も終わりを告げようとしている。
 だがそれは、一つの緊急車両が発する警告音ですべてを台無しにしてしまった。
 <パーポーパーポー>
 次々と走りすぎていく車の数は1台や2台ではない。山の手の方に走り去っていった緊急車両の雰囲気から、だた事では無いことを感じやや駆け足で家に戻る事になったのである。

 

 二ノ宮家に戻ったワシと主たちは、夕食時に流れるテレビニュースで先ほどの事態の概略を知る事ができた。勿論ワシは専用の詰め所にいるわけだが、そこからはお二人のいる居間がはっきりと視認できるし、ガラス窓があるからといって、会話が聞き取れぬほど無能で無い事は理解してもらえるだろう。
 <本日の午後○○時、九木山動物園より動物が脱走したとの事です。>
 朗読者の読み上げた原稿を要約するとこんな感じだろう。意味不明の長い情報など流すだけ無駄なのだ。
 <現在警察では、逃げ出した動物の捕獲に全力を注いでおりますが、目下、逃走先を捜索中で・・・>
 ふむ、野生の動物でも逃げ出したのだろうか。飼われている事になれている九木山の動物達で、逃げ出すほどの気概のあるものがいるのだろうか?それとも・・・。
 とは言え、大神であるワシが動物の揉め事を放置し、その動物が主や伴侶殿を困らせるような事になっては問題である。
 ワシは人には聞えぬ犬族の符丁を発し、この事態を収めるべく行動を開始する事とした。まさかこの事が、大神としてワシ自身を大きく変える事件になるとはこのとき知る由も無かったのである。


 デモンパラサイト 大神なる雪風

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