秋の夜長

 映画見たい、と言ったのはいずみで。
 ケータイの電光表示を確かめて私はため息をついた。
「いずみ、もう十一時」
「えー、レイトショーとかないの? 昭子そういうのくわしーでしょ」
「だから、ない」
 そう。無いことを私は知っている。近々大作の発表を控えたシネマ界は、そのためだけのための準備に余念が無い。
「だから今日はやってない」
「え〜。みーたーいー」
「頭悪そうな喋り方やめて」
「つまーんなーい」
 そう、つまらない。
 そんな夜、無聊を慰めてくれるのは。
「ビデオでもデーブイデーでもいーからさー。ないのー?」
 やれやれ。
 ついさっき火をつけたばかりの煙草を灰皿に押しつけて、私は立ち上がる。
「じゃ、行きましょ」
「え、どこに?」
「つたや」
 さすがにそろそろやばいけど、まだギリギリ開いている時間だ。近所のレンタルショップの名を上げた私に、いずみは。
「じゃ、おねがい。わたしフランス映画がいーな」
「……何、行かないの」
 我ながら頬がひきつるのを自覚しつつ問うと、
「ん、昭子オススメのやつ待ってる」
 とりあえず一発殴ってやって、私はアパートを出た。

 暗い。
 ぽつぽつと点る街頭を頼りに原付を飛ばす。
 さすがに若くてきれいな(誇大広告)女子大生が出歩くには、不向きな時間帯であるが。この速度では不埒な真似をする前に行き過ぎてしまう。
 それでも店の明かりが見えたときは安堵した。
 適当にいずみが好きそうなアクション物と、自分の趣味の恋愛物をレジへ持ってゆく。顔なじみの店員が苦笑しながらレジを打ってくれた。いつものことだということを彼も知っているのだ。
「いずみさんですか?」
「まあね」
 交わす言葉はこれだけ。軽く手を振って挨拶し、店を出る。
 外では、まだ時期には早い虫の声が天然の風鈴のように鳴り響く。
 元通りの帰り道を辿って部屋へ帰ると、殊勝にもいずみが飲み物やらつまみやらを用意して待っていた。青いパッケージを投げてやると、ありがとうも言わずにいそいそとDVDデッキ代わりの家庭用ゲーム機を起動させ、さっそくセットしだす。その他の雑酒をプシリと開けて、床に座ったままソファーにもたれた。
「何、それから観るの?」
 テレビに映し出されたのはキッチュでポップな、と何かの雑誌で評されていた恋愛映画。んー、と返事なんだかなんなんだかわからない声をあげて、いずみはベストポジションに納まった。テレビの真ん前、ソファー独り占め。あぐらをかくと、ブルーのペディキュアが良く目立つ。もっと色気のある椅子だといいのに。たとえばエマニエル椅子みたいな。あれに横座りして。でもそれじゃあペディキュアが見れない。
 流れる沈黙。いや、異国の言葉で囁かれる愛の言葉と、いずみがポテチを食べる音が、六畳間に響く。  しばらくして。
 私は字幕版の選択が失敗だったのを思い知る。細かい字を目で追う、大変神経を使う行為に目頭が疲れを訴えてくるので眼鏡を外した。ぼやけた視界の端で、いずみがこちらを見ているのに気付く。
「何?」
 問うても何も返らない。その代わり生暖かい身体がずるりとのしかかってきた。
「だから、何」
 これが猫だったら、喉でも鳴らしているんだろうか。床に押し倒されながら思う。顔は逆光で見えない。
「昭子、さ。なんでいっつも字幕借りてくるの? 字幕読むのつらいくせに」
 俳優自身の声が聞きたい。そう答えたのはこれで何度目だろう。
「……私もあんたに聞きたいことがある。なんでいつも途中で飽きるくせに、ビデオなんて観たがるの」
 ビデオ観るよりビデオ観てる真剣な顔の昭子見る方が好き。と、答えられたのはこれで何度目だろう。

 キスされながら、思う。
 いずみの映画見たい、は。
 セックスしたい、とほぼ同義だ。
 わかっていて私はビデオを借りてくる。
 過去に観たことのある、字幕版のものばかり。
「タバコの味きらい」
「うるさい」
 誰からも顧みられないテレビからフランス語が流れる。それを聞くともなしに聞きながら、私たちは互いの服へ手をかける。
「風呂入った後でするのって、めんどくさくない? 入り直さなきゃなんないじゃない」
「ちゃんと拭くといいじゃん」
「……してよちゃんと」
 やだーちゃんとシテなんてエッチー。軽口にため息で答え、ティッシュの位置を確認する。と、
「こっち向いて、昭子」
「ん」
 また、キス。今度はこちらから唇を割って舌を差し入れる。コンソメ味。なんて色気の無いキス。粘膜を味わい声を引き出す。反応に満足しつついずみを放すと、不機嫌そうな顔で睨まれた。
「……何」
「ずっるい」
 やれやれ。
「じゃ、ほら。どうぞ」
 イニシアチブを取らなきゃ気がすまないいずみに、身体を明け渡す。手足から力を抜いて抵抗の意がないことを言外に伝え、いずみの指をいずみの舌をいずみを受け入れる。
 ライオンに喰われるガゼルの気分。
「ぁ、んぅ」
 歯が、少し強めに肌を咬む。咬んだ跡を癒やすように舌が這い、また、咬む。痛みと、痛みとは違う感覚が身体の底に溜まって、私はいつもそれを持て余す。
 フランス語が聞こえる。こういう時習ってなくて良かったとしみじみ思う。台詞の意味なんてどうでもいい。歌にしか聞こえない。
 歌にしか聞こえない。
 【FIN】




モドル